文字書きとはいえない

小説を書き上げるまでの記録

自画自賛ではない。

去年作った本を読み返していた。

「好きだ」と思った。

それは、彼らふたりへの「好き」だという気持ちと「自分の作品が好き」だという気持ちの両方だ。


あたしは、自分で書いたお話が結構好きだ。

それは、自画自賛ではない。ただ「好き」だと思っているだけだ。

正直、拙いと思う。いつも同じような文章で同じようなお話ばかりだった。言葉はあまり好きではないけれど、3年経っても、いわゆる「底辺」のままだったのがそのいい証拠だ。

だから、「よく出来てる」とは思わない。でも「好き」だとは思う。なんなら、他の誰にも肯定されなくてもいい。ってか、マジでそんなに好きな人はいないと思う。

萌えもないし、山場もない。推しふたりが、ひっそりと日常を過ごしているだけのお話。ときどき、互いの好きなものについて話したり、受けくんの不器用な優しさをそれ以上に不器用な攻めくんだけが理解して、互いにそれごと全部ひっくるめて「好きだ」って思ったり。

そういう、「好きな推しが、ただ幸せであるように」と自分勝手に願うだけの、祈りのようなお話たち。

完全に自己満ポエムだ。そこには、起承転結はおろか、はじまりも終わりもない。ぐるっと回って最初の場所にもどって、また延々と続く、終わりのない一本の詩のようなものだ。

だけど、あたしは、自分の書いた作品が好きだ。しかも、結構。……いや、たぶん、すごく。めちゃくちゃ好きだ。


それだけでよかったのかもしれない。

いいね!の数とか、ブクマの数とか。感想とか。それらももちろん欲しかったけれど、自分で書いたものを、自分が一番好きだと思えること。それが何より大切で、それだけできっと十分だったのだ思う。


負け犬の遠吠え。

Twitterをやめて、目に見える評価から逃げ出した今だから言えることかもしれないけれど。