文字書きとはいえない

小説を書き上げるまでの記録

妄想垂れ流し、楽しい。

このブログ、何ヶ月書いてなかったんだろう。ログインは……どうかな。たぶん、一度ぐらいはした気がする。

 

この数ヶ月、何か変わったわけではない。相変わらず何も書いてないし、何ならTwitterもほぼ見ていない。

あのジャンルからすっかり抜けてしまったのは、原作が嫌いになったからではない。むしろ、今でも語りはじめたら周りがドン引きするくらいには「好き」を垂れ流すことができる。

 

二次創作をしなくなったのは「出来なくてあきらめたから」だ。

 

何だ、このブログを最初に書いた数年前と同じじゃないか。あの頃からもう「私には出来ない」って気づいていて、ただそれを認められずに足掻いていただけだったんだ。

 

先日、近しい身内が他界した。

人生には必ず終わりが来る。限りのある時間を、出来もしないことに縋りついて「出来ない、出来ない」と呪詛を吐きながら続けていたのだ。なんと勿体無いことか。

そう気づいたから、諦められたんだと思う。

 

それでも、まだ、

「こんなお話が好きだ」「こんな物語を作りたい」って気持ちはある。

自分も書きたいっていう衝動。これはもう、癖みたいなものだと思っている。

でも今はもう、文章は書いていない。

出勤前の一時間。以前、一時間チャレンジをしていたその時間に、気が向けばあらすじのようなものを書いて満足している。

(同時に、いつかこれを書き上げられた自分も妄想してしまうあたりが未練たらしいのだけれど)

 

で、最近妄想したお話なのだけど。

主人公は高校生の女の子。施設育ちで、子供のころ、同じく施設で育った受けくんに引き取らられて育つ。

取り壊されていないのが不思議なくらいの古いアパート。優しくて無愛想な受けくんと、カッコよくて自由奔放な隣人の攻めくん。

癖のある住民たちに見守られながら、三人がゆっくり「家族」になっていくお話。

 

古いコンクリート作りのアパート。都会にあるのに土地が広くて、四季を通じて花が咲いていて美しい。

階段から見える新緑、屋上にある不思議な花壇。階段に並べられた大きさも色もバラバラの植木鉢の謎、開かずの間の秘密。

 

大きな事件は何も起こらない。主人公は、あたりまえに泣いたり笑ったりしながら、住民たちに見守られながらゆっくりと成長し、受けくんと攻めくんを結びつけ、3人で家族になっていく。

 

登場人物の経歴やアパートの設定、短いエピソードなど、結構細かいところまで考えた。それらを書き殴って、気が済んで放置している。

私の頭の中では、妄想は既に完全にかたちになって存在している。だから、文章に出来なくてもいいか、と思っている。

 

妄想している時は楽しい。

あらすじを考えることも楽しい。

 

人生限られた時間しかないのだ。趣味なんて、楽しいことだけやっていればいい。

雰囲気ワンシーンスクショSS

ここ1ヶ月でSSをふたつ書いた。

ひとつはTwitterに流したけれど、もうひとつはスマホの中だ。どうしようかな。このままお蔵入りにするか、自ら恥を晒すか。

 

ひとつめのSSは、最初と最後でかろうじて主人公の気持ちが変化したけれど、ふたつめは何も変わってない。読んでる方からすれば「へぇ、…で?」的な。あたしはそれを「雰囲気ワンシーンスクショSS」と呼んでいるのだが、まさにそれだ。

 

「秋ですねぇ」

「そうだな」

「ずっとこんなふうに一緒に年を重ねていきたいですね」

「そうだな」

 

要約すればこれだけだ。この内容で2400字。一体何を書いたのか。

中身がないにもほどがある。

できない理由がわかっててもできないなら、あきらめろってことだ。

仕事前の1時間チャレンジ。

小説を書くのはこの時間だけど決めている。家ではまったく書けないからだけど。

 

先週から書きはじめた文章の続きを書いている。書くたびに内容は迷走を続け、もはや考えていたシーンへどう繋げればいいかまったくわからない状態だ。

(いっそ、2、3行改行を入れて無理やり次のシーンへ飛ばしてやろうか)

 

理由はわかっている。

「見えたもの」だけを書こうとするからだ。それはシーンや場面といわれるものですらなく、ただ「写真を文字にしただけ」のもの。だから、そこには「伝えたいこと」は何もないし、当然「次へ続く要素」もない。

でも、さすがにそれだけではどうしようもないので「写真の説明」をしながら適当にセリフを喋らせ、動作説明を加える。

 

そんなものまったくもって「小説」ではないし、書いているあたしでさえ面白くない。だからといって、どう書けばいいのかまったくわからない。

 

絶望的に想像力が欠如しているんだと思う。

まったく小説を書ける脳ではないということだ。

1時間チャレンジのたびに同じことを思っている。もしかしたら、人生の大切な時間を無駄に費やしているだけなのかもしれない。

 

こんなことに使わずに、本でも読んだ方が幸せだ。

まったく、不毛極まりない。

日記を書くように書いている。

数日前から小説っぽいものを書いている。

話は全く進んでいないのに(むしろ、進め方がわからない)もうすぐ4000字だ。文字数ばかりが増えていって、読み返すたびに何言いたいんだこれ?ってなってるけれど、あえて無視して書き進めている。

誰かに読んでもらう前提で書くから止まってしまうのであって、ノートに日記を書くように、ただ書くだけなら続けて書けるものだなぁと思う。

文章はめちゃくちゃだし、何が言いたいのか、どんな話なのかもまったく伝わってないと思う。もしかしたら、数週間後に読み返したら自分自身でさえ意味不明になってる気がしないでもない。

 

でもまぁ、それでもいいかと思っている。

昔、誰にも見せない日記を書いていたときのようにただ書いてみよう。書きたかったシーンを並べるだけ並べてみようかと思っている。

BLは虚構だから面白い。

最近、小説ばかり読んでいる。

先週読んだ本、柴田よしき「聖なる黒夜 上・下」が大当たりだった。ちょっと前に「囀る鳥は羽ばたかない」を再読したのだけれど、その勢いで読んだからだろうか。


以前読んだ「李歐」もそうだけれど、あたしは主人公が堕ちていく話が好きだ。女の人が「堕ちていく」のは大嫌いなのに、男の人が「堕ちる」のが好きなのはどうしてなんだろう。女性である自分とは絶対的に違う存在だから、どれだけ生々しく描かれていても虚構としか感じないのかもしれない。本当は存在しているかもしれない世界だとしても。悪く言えば「対岸の火事」というか。「堕ちていく」こと自体、美化して見えてるんだと思う。


昔、ある商業作家さんの小説の二次小説を書いたことがあった。

主人公(男・受)は報われない恋をしていて(相手はもちろん男・攻)、それを隠しながら友人として付き合って来た。

けれど、長年の報われない悲しさに主人公はある日とうとう姿を消してしまう。

実直で純粋で鈍感な攻めは、いなくなった理由に気付きさえせずに、主人公を見つけ出して引き戻してしまう。このとき、主人公は「堕ちて」いたんだけれど、もちろん攻めはその理由にも気づかないまま「まともな世界」に戻そうとする。

どこまでも汚れを知らない攻めと、汚れきってしまった自分。もう、以前のようには過ごせるはずがなく、ふたりは悲しい結末を迎えてしまう。


あたしは、この作品の二次創作で主人公の「堕ちていた日々」を妄想して書いていた。どんな相手にどんなふうに犯されていたのか。主人公はどんな気持ちでそれを受け入れていたのか。穢されていく自分を俯瞰しながら、自分から手放したものをそれでもまだ求めてしまう、どこかでまだ相手が来てくれるんじゃないかと期待してしまう自分を嫌悪する主人公が書きたかったのだ。

綺麗なままの攻めと対峙したときの絶望とか嫉妬とか憎しみとか、愛情とか。そういうのを書きたくて書いていた。


何が言いたかったのかさっぱりわからないのだけれど、要するにあたしは「薄暗い話」が好きだということだ。もちろんハピエンも読むけれど、特にBLは薄暗い方がいい。救いがない方がいい。

BLは自分の女性という「性」が作り出すナマモノを見ずに済む世界だからこそ、好きでたまらないのだと思う。

そして、もしかしたらあたしも「堕ちる」ことを望んでいるのかもしれない。あの主人公みたいに。

凡才ですらない。

小説は、書けていない。

言い訳するみたいに、ときどきSSを書いてTwitterに投稿していたけれど、ここ2ヶ月それもしていない。もちろん、ここで本にするって言ってたお話は全く書けないまま7月のイベントも終わってしまった。

最後にTwitterにあげたSSが見事に爆死したからというわけではないが、最近は創作意欲が以前よりも更になくなっていて、正直、まったく書く気が失せている。


考えたのだけれど、書けない書けないって言うばかりで全く努力もしないくせに、小説なんか書けるわけがない。天才じゃあるまいし。むしろ、凡才ですらないくせに。

じゃぁ、せめて書くのが楽しいから書いてるって言えればいいけど、これがまた、全然楽しくなんかない。むしろ、苦行でしかない。

書くことが好きなら、下手でも書き続けるだろうし、書きたいことも生まれてくるんじゃないかなと思う。


好きこそものの上手なれ。

この言葉に凝縮されてる気がする。好きじゃなければ始まらないし、始めなければ上手くなるはずがない。

なんだ、飽きてあたりまえじゃないか。