文字書きとはいえない

小説を書き上げるまでの記録

自分を認める。

昨日、残り50分でお話は全く進まなかった。それどころか、プロットめいたものをうっかり見直して矛盾とかアラとか見つけてしまって、このお話自体が全然ダメなんじゃないかと思ったところで時間切れだった。

プロット添削してくれる有料のサービスあるじゃないですか。あれってどうなのかなぁ。自分一人で考えたプロットって、時間が経つにつれて「これ、全然面白くないのでは?」って思ってしまうので、誰かから、書いてもいいですよ!って肯定してもらえれば続きを書けたりするんじゃないかなぁって。もちろん、足りないところとかダメなところは指摘してもらうことも含めて。2000円くらいからあるみたいだけど、クーポン出た時にやってみようかなぁ。

誰か「面白そうだから書いてみて!」って言ってくれ!!!だれか!


て、ここからはまたネガティブな話。

Twitterをしていたころ、ライバル視していた方がいた。もちろん、あたしが一方的に。相手は、あたしのことなんて知らないと思う。片道フォローだったし。

彼女への身勝手な嫉妬は、Twitterをやめた大きな理由でもある。Twitterのパスワードを変えてもうすぐ一ヶ月。ようやく嫉妬の気持ちが落ち着いてきたと思った矢先、昨日、支部で久しぶりに彼女のアイコンを見つけた。とある作品に、彼女がブクマしていたのを見つけてしまったのだ。


心臓が口から出るかと思った。わなわなと込み上げてくる不安と焦りが混じった重苦しい胸の痛みに、また、呼吸が苦しくなった。

支部は、ミュートしていてもTwitterのように存在を完全に消せないから、彼女が投稿したことがわかってしまう。

そのときが来るのが怖くて仕方ない。

自分勝手にライバル視して嫉妬して、逃げて。それでもまだ全然諦めきれていない自分を思い知らされて心底嫌になった。


癒す方法は知ってる。

自分が好きだと思えるお話を書くこと。

書けなかったとしても、精一杯やったと思えるように努力すること。

どういう形であれ、自分で自分を認めることでしか癒されないんだってことを、もうずっと前から知ってる。

もしくは、無様に尻尾を巻いて逃げ出す自分を認めること。あきらめること。自分の限界を認めること。できないと認めること。負けを認めること。

それも、ある意味、「自分で自分を認める」ことだ。

それでしか、きっと癒されない。