文字書きとはいえない

小説を書き上げるまでの記録

書きたい衝動。

先月書いて放置していたSSを、某SNSに流した。Twitterと違ってフォロワーさんいないから完全に壁打ちだから気が楽だ。

それでも、鍵外して流すあたり、やっぱり読んでほしいって思ってるんだろうな。そして、よしんば誰か1人でも反応があれば、って。

なんと浅ましいことか。


書きかけていたいくつかの話のなかで、かろうじて「書きたい衝動」に駆られたものがあったので、明日からそれを書いてみようと思う。

何文字でもいい。たとえ、最初の一行だけでも書ければ、あたしはすごいんだ。

書きたいことがない。致命的。

書けない、ってどんなふうに?って考えていた。思いついたのは、ふたつ。

①どう表現すればいいのかわからない。文章が思いつかない。上手く文章にできない。

②そもそも、物語が思い浮かばない。書きたいことがない。

あたしは、もちろんどちらもだけれど、比率は②>>>①だ。

ふたりの職業とか、住んでる場所とか、何となくいい感じで歩いてるのとか、ご飯食べてるのとか。そういう、設定めいたものやワンシーン的なのは妄想できるけれど、そこから繋がる具体的なセリフだとかエピソードはまったく思い浮かばない。


んん?待って。

たとえば、「何となくいい感じで歩いている」までに至る過程や、そこから先を考えればいいってこと?

そこに住んでる場所とかふたりの職業を背景や設定として付け足せば、もっと詳しく「そこまでに至る過程」や「そこから先」が思いつくのかしら。

でも、それがエピソードになるのですか?よくて、ワンシーンじゃないの?


小説は連なったエピソードのかたまりなんだってどこかで読んだ気がする。だから、それぞれのエピソードは次のエピソードに繋がる要素を持ってなければいけない。


では、「書きたいこと」が、「何となくいい感じで歩いている」とか、「海辺の道を自転車で疾走するふたり」だとか、「無人駅で電車を待つふたり」の場合はどうすればいいんだろう。

そこで完結してしまう。繋がるエピソードなんか生まれないじゃないか。


「書きたいこと」って、こういうワンシーンや雰囲気ではなくて、もっと具体的な「こんなお話」ってことなのかな。テーマみたいな?

そんなの、全然思いつかない。

やっぱり書きたいことが見つからないってことだ。もう、致命的だと思う。

他人からの評価=自分の価値

最初に、不快になっていません!むしろ、あらためて考えさせられています。

ありがとうございます。


誰かにあたしをすごいと思って欲しい。


あたしは、こっちだった。

他人からの評価=自分の価値。

あたしは、自分の価値を他人に委ねて生きている。でも、そのわりには人からの評価もたぶん信じていない。なのに、誰かに「すごい」と言われたくて書いていた。

自分で自分を「すごい」と思えたのなら、「楽しい」と思い続けられたのかもしれないなぁと思う。


どこにも公開せずに。自己満足のためだけに書ければ、楽しいと思えるのかもしれない。もうTwitterもやめたんだし、どこにも公開できる場もないんだし。

下手でも面白くなくても、起承転結がなくてもいい。書いてみようか。なにか。

タチの悪い二次創作をしていた。

趣味っていろいろあるのに、練習とか訓練とか必要なものを選んでしまったことが失敗の始まりだったんだと思う。

映画鑑賞とか読書とか。

基本的に好きなものだけ選べて、誰かと比較して落ち込んだりせずにすむ趣味もあるのに。

人より秀でたことなんて何一つ持ってないどころか、それを補填するための「努力や継続する力」さえないあたしが「小説を書く」なんてことを「趣味」にしてしまった時点で、こうなることは決まっていた。


いや、違うか。

お話を書くことは、あたしにとって「趣味」ではなかったのだと思う。

趣味は強制ではない。持たなくても生きていける。だからこそ「趣味=好きなこと」でいいんだと思う。練習や訓練が必要だったとしても、ほとんどはその前提として「好き」だという気持ちがあるから続けることができるんだと思う。

では、「書くことが好きだ」と感じたのはどんな時だったのか考えてみたら、


・脳内で見ている風景とか起こっている出来事を文字で表現できた時

・登場人物を通して、自分の感情が動かされた時


いくら考えても、このくらいしか出てこなかった。

でも、これらはたぶん建前だ。

それよりもたぶん、


・誰かに「すごい!」って言ってもらえた時


こっちのほうが正しくて強い。

そして、その「すごい!」は「面白かった」ではなく、「小説書けるなんてすごい」の意味だ。


・小説を書けるあたしってすごい


結局はこれだったんだと思う。

誰かにこう思われたかった。自分には何か出来ることがあるんだと思いたかたった。

そして、そのために人様の作った世界とキャラを利用していただけだ。


あたしは、本当にタチの悪い二次創作をしていた。

何かを表現できる人になりたい。

なぜ書きたいと思うんだろう。

アプリさえ開かないくせに。


脳内で作り上げた、好きでたまらない世界を吐き出したい。こんな世界を見たい。こんなふたりを見たい。そういう、自分の「好き」を外に出してしまいたい。


じゃぁ、「好きでたまらない世界」って?どんな?「好き」って何?

それは、あたしにとっては次々と生まれてくるものではなく、生まれたとしても、貧相な脳では、いつも同じようなのばっかりで。

そして、そのバリエーションの少ない「好きな世界」は、もう出し尽くしたのかもしれない。たった数話のオリジナルと、三年間の二次創作で。


何かを表現できる人になりたい。

そのためには、才能とか画力だったり文才だったりも必要だと思うけれど、何より、「表現したい何か」が必須だ。

そして、あたしにはそれがない。

すこしずつ、離れていく。

Twitterから逃げ出してから、急速に小説を書く意欲が減っていて、昨日はとうとうアプリさえ開かなかった。こうやって、やめていくんだと思う。 こんなに腹の黒い自分を知る前に、もっと早くTwitterやめればよかったと思う。

一週間も何も呟かないアカウント。それまでも月1のSSくらいしか創作できなかったあたしのことなど、もうすっかり忘れられていると思う。たった10日ほどでこんなにも遠い世界になってしまった。この世界のどこか、ネットの上だけだとしても、確かに存在しているコミュニティだなんて思えないくらいに。


10年前に書いたオリジナルを読み返していた。はじめて書いたお話だった。4万文字と3万文字のふたつのお話。

拙くてどうしようもないな、と思ったけれど、あのとき、書くことがどうしようもなく楽しかったことを思い出した。一日中、パソコンの前に座って書いていた。

言葉は溢れるように湧き出た。主人公の気持ちが痛いほど染み込んで、最後の章は、辛くて泣きながら書いていた。

そういえば当時は推敲ということを知らなかった。ほとんど読み返さなかったと思う。ちゃんと推敲して綺麗に仕上げたい気持ちもあるけれど、気乗りしない。めんどくさい。なんでだろー。


昨日の作家さんからお返事が来た。あたしよりも長文でとても丁寧な文章で。嬉しかったけれど、同時に自分のネガティブさ加減にどんよりとした気持ちになったから、返事は書かなかった。

こうやって、少しずつ離れていく。

自分の限界を認めていく。

何も欲しくないから、何も返さない。

吐き出しついでに。

ある作家さんの同人誌を買った。

無事に届いたことと、楽しみにしていることをお礼を兼ねて連絡したけれど既読スルーされている。

きっと、たくさんの連絡が来ているんだろうから仕方ないのかなとは思う。でも、コピペでもいい。テンプレでも良いから返事がほしかった。ひとことでいい。

その一言すら返信しなくてもいいと判断されたってことなんだ。


ギブアンドテイクって、相手によるんだろう。相手によっては、「テイクアンドテイク」でいいやって思うのかな。いや、むしろ。

「この人からは何もいらない。だから、何も返さない」

こっちかー。

もう、感想書くのやめよう。